http://hon.o.oo7.j多摩川散歩 NO11−20
2009.12からスタートし2011.7月で終わりました。
このページはその後半でNO11から羽田沖のNO20番ます。
J 八王子・昭島・日野市周辺 2010.10
多摩川は、川幅もますます広くなり大きな川の様子が分かります。この辺りはまだ川の両側は東京都で昭島・八王子・日野・立川市に囲まれ市の境界線にもなっています。
公園や遊歩道・釣り場などもあり自然な景観も残しながら土手の整備や改修も進んでいます。
拝島橋 春の多摩川
国道16号線が多摩川を渡る橋で 拝島橋近くの小高い住宅街の
八王子市と昭島市を結ぶ。 丘陵から拝島橋を遠く望む。
多摩大橋 河口まで45km(八王子市)
冬の多摩川は澄んでいるが冷たそう、 この標識は多摩川の土手に所どころ
遠くの赤いアーチは多摩大橋・秩父連。 に在ります。この付近は日本橋までも ほぼ同じ距離です。

飛行場も在りました レトロ
河川敷にはこのようなラジコンファンが なんと懐かしい自動車、
集まり曲芸を競ってます。 ゴミでは悲しいですね。

富士山も望めます モノレールの橋とアート
冬の多摩川土手の小高い所からは 立川市と日野市を結ぶ立日橋。
富士山も見えます。 (たっぴばし)

K 支流の浅川周辺 2010.11
東京の西、八王子市は大きな都市で昔は甲斐の国と江戸とをつなぐ甲州街道の重要な地区でした。絹の織物などが盛んで、今でも桑の都と言われたりしますが、最近は学園都市としてもPRしています。
緑多く自然な景観も残しながら、多摩川の支流である浅川、川口川、谷地川や数多くの支流が流れています。
また、武蔵野御陵や高尾山、陣馬山など観光にも良い所が有ります。
春の多摩川堤 日野市高幡近辺
多摩丘陵の桜も見事 浅川が多摩川と合流するあたり

L 立川・府中・国立周辺 2010.12
立川市の戦後しばらくは基地の街、競輪の街のイメージでしたが、今では昭和記念公園や大きな商店街、官庁が駅の北側に広がり大変賑やかな街です。府中も昔からの街道の宿場などで栄えてきた所ですが現代は大規模な企業がいくつも有り工業や府中の森と言った芸術の公園、交通の拠点としても甲州街道始め主要な道路の交差する都会です。
多摩川の川巾も大きくなり悠然とした流れになっています。土手には桜の木も多く、春は見事な桜の土手になり、花見も、サイクリングもウオーキングも盛んです。
日野橋 多摩川沿いの根川緑道
日野橋で、国道20号線(甲州街道)は 甲州街道が多摩川を渡り日野市
多摩川を渡ります。 に入る手前の公園の桜は見事です。
貝殻橋の云われ 多摩モノレール
根川緑道のこの辺は江戸時代は今の 東京多摩地区のモノレール。
国立市の青柳地区から多摩川へ降りる 多摩川を渡り多摩丘陵地区や多摩
貝殻坂であり「新編武 蔵風土記稿」に ニュータンとつながってます。
よればの昔はこの辺は海らしく土中を
うがてば蛤の殻おびただしく出ると記
されています。
多摩川土手の桜並木 関戸橋近く
歴史ある鎌倉街道が多摩川を渡り日野 市から府中へ至る橋で ウオーーキング
コース案内です。

南武線南多摩方面を見る 国立市の大学通り
多摩川は府中と稲城市の間を流れ 多摩川の桜も見事です。
まもなくすると東京都と神奈川県の ここの桜はすごいの一言です
県堺になるとなります。
ここより上流は東京内でした。

歩道橋の桜見物国立市の大学通り

M 南多摩周辺 2011.01
多摩川も中流域に入ってきました。JR南武線(川崎-立川)が多摩川沿うような形で走っています。都県境の川にもなり、下流に向かって左側は東京都、右側が神奈川県(川崎市)となっています。都市に近くなると川にかかる橋も交通量が多くなり車の渋滞個所にもなりかねまん。
でも川の付近や土手は市民の憩いの場所でもあり街中の喧騒を忘れさせる癒しの場所でもあります。
土手や橋も年々改良の手が加えられていますが、桜並木や雑木の茂る自然はなるべく残してほしいですね。
初冬の多摩川 海羽田沖から30km
南多摩駅近く 是政橋 多摩川是政橋近くから

莠、騾壹ョ隕∵園 譌・豢サ譏逕サ謦ョ蠖ア謇 縲縲縲縲縲縲縲縲縲縲交通の要所 日活映画撮影所
稲城大橋を渡って調布側へ歩きました。調布の土手そばにある日活の撮影所の見学
撮影は断られました。
河原にて 多摩川狛江市近く
冬の日差しの中で S49/9の台風で氾濫し小説
「岸辺のアルバム」で知られた。
多摩川の橋 たまリバー50km案内
橋の数が多くなりまた大型化してます。 土手にはこのような案内があり多摩川
を楽しむ事が出来ます。
多摩水道橋
橋上の都県堺(狛江市と川崎市多摩区の登戸)

N 二子玉川周辺 2011.02
なぜか玉川の表記になっています。詳しい理由は分かりませんが以前からこの辺は玉川と書かれています。昔は大きな遊園地が有り楽しめた場所でもあります。
秋には菊人形展があり見に行った記憶が有ります。先のNO14では小田急線の登戸まででしたが、今回はその下流の二子橋までを訪ねます。
冬の多摩川 海羽田沖から21km標識
川鵜? このほか白サギもいました 多摩川河原の市民農園

堰の渡し標識 東名高速
川崎の宿川原と東京の喜多見を結ぶ 多摩川を渡る東名
明治40年ごろ始まり昭和10年廃止

新しいスポーツ(ゴルフ?) 様変わりの東横線二子玉川駅近く
広い河川敷は大人の遊び場でもある 近代的なマンション群まだ未完成でした
旧国道 二子玉川駅方面
現246国道は丹沢山系の大山詣での 新二子橋も有りますがこちらは旧246号
街道だった

O 支流野川 2011.03
支流である野川は東京都の方です。玉川の南側(川崎地区)にも野川と言う所があり近くでもあり一寸間違えやすいですが、その近くの川は矢上川で鶴見川の支流になっています。
野川は国分寺に源を発し、西武国分寺線・JR中央本線と交差し、真姿の池湧水群からの湧き水を合わせ、小金井市、調布市に入る。さらに世田谷区に入り、北から流れ来る仙川を合わせ、多摩川と並んで二子玉川で国道246号新二子や東急田園都市線・東急大井町線二子玉川駅の付近で多摩川に合流しています。
お鷹の道 真姿の湧水群

お鷹の道
武蔵野は昔は大名や武士たちの鷹の狩り場であったところでこの名前が残っている。散歩道として良い所です。
真真姿の湧水群増形の姿の湧水群真姿の湧水群
真姿とは? その昔嘉祥元年(848年)この地の絶世の美女玉造の小町と言う方が、醜い姿となる病に罹り武蔵国分寺を訪れ祈願をした。
すると、お告げが有り「この湧水で身体 を清めよ」七日目になると自分の姿が元り真姿の美人に戻った。云われている所からこの名がついた。 (国分寺略縁起)より
真姿の池 野川の沿っての道
何を祈っているのだろう 住宅街の中のお鷹の道

ハケの道案内 滄浪泉園
ハケとはこの辺の武蔵の丘陵の ハケ道から入る
崖の下側をハケといい湧水湧き
出る所となっている

湧水 武蔵国 国分寺
静かな庭園のなか笹の葉を通してあふれ出る武蔵野の史跡として重要国指定
重要文化財薬師如来坐像がある

子育て獅子?? 野川の上流
親が片手(足)で子供をかばっている? 国分寺小金井を通って多摩川にそそぐ
P 等々力渓谷(都内世田谷)
渓谷と言うと山の中のイメージですが此処は都内の世田谷区内です。武蔵野台地の南端に位置する延長約1Kmの渓谷です。大田区や目黒区も近く多摩川を挟んで川崎市側もやはり等々力緑地と言う公園が有りますす。
谷沢川が多摩川と合流する手前で、多摩川が形成した河岸段丘で『等々力』の地名は、渓谷内の『不動の滝の音が響き渡り『轟いた』ところからついた、との言い伝えがあります。
(web記事より)
等々力渓谷 ゴルフ橋
轟くから等々力になった 近くにゴルフ場は無いと思いますが・・・?

モデル撮影会 渓谷沿いの道
真夏でも涼しい川沿いです。、 多くの方が散歩していました。
モデルさんも涼しそう。

クーラ 等々力不動境内
岩にしみ出す清水は天然のクラーでした 渓谷の上は真夏の日差し

Q 多摩川丸子橋付近
川の流れとしてはNO15の二子多摩川の続きです。NO16/17と支流を訪ねましたので本流の方に戻ります。まだ河口までは距離も有りますが多摩川は都会の街中と言ったところでしょうか。
京浜工業地区に入る手前でも有り、河川敷は公園やゴルフ場、野球場など緑も多い所です。
新多摩川大橋 多摩川河川場の公園
二子橋のすぐ下流は第3京浜道路となっている。川幅も広くなっている。かっての読売巨人軍のグランド跡。

遠方は東急東横線 多摩川の堰と氾濫記録
多摩川も流れはゆるやかで水量も多い。 計画洪水数位は10.22m記録では 9.1mが過去最大でS13年だった。

丸子(まるこ)橋 中原街道 多摩川に沿って走る目蒲線
丸子橋付近東京側は大田区田園調布、住宅地として高級な所、川崎側は中原区で等々力緑地や近代的な大手企業が多くある。

鉄道橋 ガス橋
まるこ橋の下流は東海道新幹線と横須賀 この近くは河原の土手も広く公園や
川崎の平間と大田区下丸子を結ぶ線が走る。野球場、サッカー場など河川を
利用している。 遺跡に丸子の渡し跡があり交通の要所。

R 多摩川大橋付近
京浜工業地区となる多摩川大橋です。
多摩川河口から数えて3番目の橋です。東京と神奈川を結ぶ主要な道路の一つ,国道1号(第二京浜国道)で交通量が非常に多い。東京都と神奈川県の境界線がある。フランク永井の歌で「夜霧の第二国道」と言うヒット曲が有りましたね。
1938年(昭和13年)京浜国道(第一京浜)のバイパスとして新京浜国道(第二京浜)の橋として建設着工し、途中で太平洋戦争により中断。木製の橋として昭和20年に完成したが、同年4月15日の戦災によりわずか15日で焼失することとなった。終戦後の1949年(昭和24年)に開通をし1957年(昭和32年)には、日本で最初の水銀灯がともされ話題となった。
(一部web記事を参考)
多摩川マップ 多摩大橋近くのラジオアンテナ
丸子橋から六郷橋の詳細ガス橋。 現在のラジオ日本。多摩川大橋、六郷橋です。 昔はラジオ関東と言いましたが。

河川ゴルフ場 多摩川大橋
川崎リバーサイドゴルフ場反対側(東京) 京浜第二国道で大田区と川崎市を
が矢口の渡し つなぐ。

川沿いのマンション群(川崎側) 川崎駅近く
かっては河らに無秩序なバラック小屋が 川崎近くの多摩川鉄橋で東海道線や
多く在りましたが綺麗に整備された。 京浜東北線が走る。

21世紀桜之碑 東京大田区側 桜並木の土手
21世紀にこの多摩川堤を訪れる人へ 多摩川の土手には上流からこの辺
メッセージ(大田区) まで桜の木が多くある。

カモメもいます 第一京浜国道の橋六郷鉄橋
海が近くなり餌を求めてこのようなカモメが 東京から川崎側方面を望む
多く、老人も遊んでいます。 ビルは川崎市街地。

S 多摩川の河口まで
今月で多摩川を訪ねてもいよいよ最終となりました。
奥多摩から東京湾までの約138kmになります。
東京都と神奈川県の県境を流れる主要な川です。奥多摩の自然豊かな所から都会の中に流れて都会のオアシスとなる風景も有りました。平成19年には民間と行政が手を添えて【美しい多摩川フォーラム】が立ちあがっています。経済・環境・教育が運動の柱になっています。
この意味でも土手を写真機をもって訪ねると、納得できる場所がいくつも有り、春は桜、秋は渡り鳥、冬のウォーキングする人たちの白い吐く息からも季節の移り変わりが良く分ります。
川の近くにはたくさんの公園や運動場もありました。都会の中を流れる川は一時ゴミや廃棄物でかなり汚れていましたが最近は規制もあり川が綺麗によみがえっていることを実感出来ました。まだまだ訪ね切れない所が沢山あります。
シンボルである桜も各所で多く見られます。それを訪ねるだけでも価値が有ると思います。
広い河口近くとビル群 多摩川土手
東京から川崎側方面を望むビル群は 土手は大勢の方のウォーキングや
川崎市街地 自転車で賑わっています

多摩川河川 大師橋
川崎競馬練習場 広く豊かな川

羽田神社 多摩川川崎側の標識
東京大田区から神奈川の川崎に行く国道 河口まであと2km
沿いにある神社です

高速道路 河口近くの工業地区
羽田と横浜を結ぶ高速道路 京浜工業地帯のど真ん中

標高1.99m 多摩川六郷側の水門
川崎側の水準石 渡しの名残りか

河口の近くの公園から 羽田沖の工事
羽田飛行場も目の前ジェットも風車も時代を表しますね。 この時はまだ新滑走路も工事中で未完成 でした多摩川も此処で終わりです。

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「55東海道を訪ねて」と「山手線散歩」は長期間掲載
しましたが、編集上掲載を取りやめました。
よって、この「多摩川散歩」が最終ページです。
nchanの徒然ホームページを最後までご覧いただきありがとうございました。 次号もまた見てください。
Oはゼロではなく英文字のオ−です。